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大王埼灯台
「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」と船乗たちに恐れられた大王崎は、志摩半島の東南端にあり、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように突出した海の難所として知られていたところです。
そのため、早くから灯台の建設が望まれ、1927(昭和2)年5月16日、灯台局直営で着工、同年10月5日点灯を開始しました。総工費は当時の36,221円94銭でした。灯台は太平洋戦争、伊勢湾台風など幾多の苦難に遭遇してきましたが、1978(昭和53)年12月に半世紀振りに灯塔の大改修を行い、現在の姿になりました。大王埼灯台は全国有数の参観灯台の一つ。階段を伝って頂上まで上ることができます。
眼下に大王の歴史ある町並みを見下ろせます。南西には米子浜、麦崎灯台、北には安乗埼灯台、遠方の島々まで望めます。沖から来る船がマストの先端から現れることを実感できて、地球の丸さが分かることでも知られています。
(詳細)
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八幡さん公園
大王埼灯台へ行く途中にある公園で目の前に大王崎灯台が迫り、崖の下には白波が立ち、波切随一の風景です。
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伝三坂(でんざざか)
熊野灘と遠州灘を二分する大王埼灯台がある志摩市大王町は"絵かきの町"として知られている。大正2年、日本画家・土田 麦僊(ツチダ バクセン)が文展に発表して以来、藤島武二など古今東西の画家たちの創作意欲をかきたててきた。段崖に打ち寄せる波、暗礁を照らす白亜の灯台とともに、彼らが愛してやまない風景が迷路のような石坂の町並みである。平地がほとんどない波切では、斜面に石垣を築いて家を建て、主道間を結ぶ坂道には石段が巡らされている。石積みの技術は、大正から昭和初期の築港で得られたもので、"波切の石工"は伊勢志摩地方では熟練者の代名詞となっている。
(志摩市観光協会パンフレットより)
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産屋坂(おびやざか)
港から高台へと続く石段と石畳の坂で、生活に必要な唯一の坂だったそうです。 この古びたおびや坂の高台へ行くと白亜の灯台を眺めることが出来ます。
産屋坂(おびや坂)という名前がついたのは、昔、坂の途中に産屋と呼ばれる家があり妊婦さんが産気づくとその家に入り、出産・養生をしたそうです。 坂の途中には安産を祈願したり、産後にお礼の報告をする子安観音の祠があります。
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汗かき地蔵祭りが
行われる薬師堂
鎌倉時代の頃、漁師をしていた惣左衛門の網に同じ大石が3度も掛かってきたので不思議に思い持ち帰り、浜辺に置いておきました。この石に無礼を働く者がいると必ずその者に悪いことが起こるのでした。そしてこの石は後になって尊像の形へと変わっていったという伝説のお地蔵様です。この地蔵尊には不思議な力が宿っています。それは代の中に起こる良い出来事、悪い出来事を汗を流し、その色によって告げるのです。吉事が起こるときには喜んで白い汗をかき、反対に悪いことが起こるときには人々に変わって苦しみ黒い汗を流すのです。江戸時代、志摩の殿様が大病に罹り、この地蔵様を念ずると忽ち全快しました。以来信仰はますます広まり、また村民にも多くの霊験を授けました。今でも吉凶があるたびに汗をかかれます。2月24日の良縁日には町中にて盛大なお祭りが行われています。(案内板より)
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ダンダラボッチ公園
ダンダラボッチの民話に登場する大入道(ダンダラボッチ)が残した足跡を復元したそうです。身の丈三十尺(約10m)一つ目の大男がこの島へ来ては悪さをし、島から追い出すために、ある娘が大きなわらじを作り「千人力の大男がいる」と脅したところ、ダンダラボッチは一目散に逃げたそうです。そして島の人たちは「ダンダラボッチがこの島に二度と戻って来ないように」と毎年9月に大わらじを海に流す神事・わらじ祭りが開催されています。
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次郎六郎海水浴場
大王町登茂山にあり英虞湾の中心にあるので波は穏やかで海水浴客は多くなく子供連れでも安心して泳げる海水浴場です。半島の両側面が砂浜となっていて、一方が海水浴場、一方が生物などを観察できる海浜公園となっています。海水浴場の沖にあるイカダが人気です。
海開きの期間は、7月下旬から8月中旬までで期間中は無料送迎バスもあります。
※駐車場料金1日1台1000円。
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